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岡山県東部に6店舗のガソリンスタンドを経営
渋谷石油は、昭和55年、1店舗、佐伯のお店から始まった。昭和60年には、2店舗目を和気に出店し、そこから、2・3年おきにSS(サービスステーション)をつくったり、敷地を広げたり、セルフにしたりと、投資を続け、今では6店舗のSSを運営している。

渋谷石油のSSの中には、整備工場の中でも国の厳しい審査をクリアした指定工場を持ち、車検を実施できる店が2店舗あったり、新車・中古車の販売や、レンタカーの事業もしている店もある。順調に大きくなっていったかのように見える渋谷石油だが、そこにはたくさんの困難もあった。

現社長、渋谷光弘社長は3代目だ。渋谷社長は大学卒業後、石油の元売りで働いていた。3年働き、石油業界での知識を付けた後、御津店がオープンするタイミングで御津店の店長として、渋谷石油に戻ってきた。当時、御津の店は西日本で1番大きな店だった。御津店を作るまでは渋谷石油というのは、岡山県東部では有名だったが、全国で知れ渡っているような会社ではなかった。しかし、西日本最大の店だということ、また、社長が石油の元売りにいるときに設計した、今後考えられる最新の技術を導入した店だということから、話題の店となった。しかし、最初は全く売れなかったそうだ。「泣くぐれぇ売れなかった」と社長は当時のことを語った。

西日本最大の店で、考えうる最新の設備を導入したのにも関わらず売れなかったのはなぜなのか。それは、現場で働いたことがなかったので、現場の感覚もわからず、机上の空論だけで、考えてしまったからだという。しかしここで終わるわけにはいかない。

御津の店は社運を賭けた店で、専務も自分の全財産を投入しており、成功するしか道はなかった。ガソリンスタンドは、お客さんが店に入ってきてくれない限り売れることはないので、信号待ちをしている車にチラシを配ったり、思いついたことは何でもしたという。
渋谷石油の始まり
渋谷石油を創業したのは渋谷社長の祖父だ。創業時からガソリンスタンドを経営していたわけではなく、炭火を作って売るところから始まった。その後は、野菜を姫路まで買いに行き、それをリアカーで引っ張って行商をし、たまったお金で八百屋を始めた。そして、「これからはガスの時代が来る」と、LPGの取扱店をはじめ、1年後には、「これからはモータリゼーションだ」と、ガソリンスタンドを作った。
手作りの佐伯SS
元々社長の祖父が畑一反だけの土地を持っていた。そこをガソリンスタンドにしたわけだが、お金がたくさんあったわけではなかったので、1店舗目の佐伯店は自分たちで作ったそうだ。文字通りの手作りの店で「砂利を敷き詰めて、ブロックを継いで~」と作ったときの話を現会長の社長の父や、専務から聞き驚いたそうだ。さすがに地下タンクは自分たちで埋められなかったようで、業者に頼んだそうだが、それ以外は「手作り」だ。渋谷石油は資金源がないところからスタートしていることが多いそうで、自分たちでなんでもできることはやろうという文化ができたようだ。
セルフへの改造
今ではあちこちで見かけるセルフのガソリンスタンド。渋谷石油のSSは6店舗すべてがセルフだが、日本でセルフのガソリンスタンドを作ることができるようになったのは1998年に消防法が改正されてからだ。

社長が初めてセルフのガソリンスタンドに出会ったのは、学生時代にアメリカに行った時のこと。レンタカーで走っていると、アメリカのガソリンスタンドはほとんどがセルフだと気付き、セルフが日本で解禁になれば、絶対にセルフが主流になると確信したという。まだセルフのガソリンスタンドが珍しかった岡山県で、早い段階でセルフを取り入れようと思ったのは、「いずれそれがメインになるんだったら、うちがやったらええじゃん。誰もやったことがないんだったら、俺がやったらええじゃん。」という想いからだそうだ。

渋谷石油で初めてのセルフのガソリンスタンドは、御津店だ。御津店ができて3年後ぐらいのことだという。渋谷石油の中で一番売り上げが上がるようになっていた御津店は、もうフルサービス(ガソリンスタンドの従業員が給油をしたり、窓を拭いてくれたりというようなサービスをする形態)で対応するには限界ではないかというところまでお客さんの数が増えていたので、セルフへと変えることにしたそうだ。このころセルフは岡山県には3・4店舗ほどあったのだが、どれも石油の元売りが持っている直営の物件であって、岡山県でもともと商売をしている人が自分のお金で作ったのは渋谷石油が最初だった。

当時のセルフの風潮というのは、「セルフに来るお客さんは話しかけられるのが嫌いな人だから、挨拶もするな、話しかけるな」という感じだったそうだ。しかし、御津店は、既存の、「整備工場を持ち、オイル交換、タイヤ交換などのサービスをする」というところは変えずに、「給油のみセルフで」してもらうという形の店に変えた。「セルフに行くお客さんは給油だけがしたい人だから、ほかのサービスを提供するのはリスクが大きいからやめたほうがいい」と石油業界の人からは言われることもあったが、社長は、石油の元売りで働いていたこともあり業界の10年先を見ていたので、今後、燃料だけを売っていても絶対に行き詰まると思ったので、このような形の店を作ったそうだ。
専門性
▲整備工場
渋谷石油では、ガソリンスタンドの隣で、新車・中古車の販売や、レンタカーの事業をしたりと、ガソリンスタンドとしては珍しい形態をとっている。業界としては、リスクが高いと言われている。

給油だけをしているガソリンスタンドなら、安全かどうか、確認する従業員がいればいいのだが、整備工場があったり、車を販売していたりとなると、専門知識が必要となってくる。人が育っていかないと、お客さんに対して、値段以上の価値を提供することはできないので、人をしっかり成長、定着させていかないと成り立たなくなる形態なのだ。
ガソリンは安いのが強みだろうか
渋谷石油は他と比べて、ガソリンが少し安い。交渉力で言えば、全国でも比較的安く仕入れることができるそうだが、安く買えるといっても、1Lあたり、1円、2円の世界だそうだ。

渋谷石油でガソリンを安く売ることができるのは、生産性が高いことによるものが大きい。

そもそもガソリンスタンドの利益というのは燃料を販売したときのものと燃料以外を販売したときのものとがある。燃料は、ハイオク、レギュラー、軽油、灯油、ところによれば、重油など、エンジンを動かすものだ。素人からすれば、燃料の価格が高くなると、利益も高くなるのかと思うが、軽自動車1台を満タンにしても、利益は100円もない。

燃料以外というのは、普通のガソリンスタンドで言えば、オイル交換、タイヤ交換、洗車が三本柱になるという。渋谷石油では、ほかにも車の販売や、車検、修理も取り扱っているので、そこからの収益もある。渋谷石油では、セルフのため、給油をすることがあまりないので、積極的にお客様に、オイル交換などのおすすめをすることができ、高い売上をあげることができる。この利益があるので、その分ガソリンを安くすることができるのだ。

安く売ることこそ会社の強みだという人もいる。しかし、社長の気持ちとしては、安くなくても、お客さんに愛される店にしたい。安くないとお客さんが来ないというのなら、働いている従業員の存在価値というのはどこにあるのか。「お前がいるからこそ1円高くても来ると言ってもらえば、その人の価値はあるが、安くないと来ないということは、その人がいても関係ないということ」「自分たちにしかできないことって何があるのか、そこに取り組まない限りは、いつまでたってもほかの業者と同じになってしまう」
2500万円
18歳で免許を取ってから、70歳になるぐらいまで、月間、仮に押しなべて100Lのガソリンを使ったとする。ガソリンの値段に差はあるのだが、1Lを170円と仮定したとき、一生のうちでいくらかかるだろうか。なんと、ざっと計算すると1000万近くになる。さらに、車を10年に1度買い替える、それも200万円までとすると、それだけで1000万にもなる。さらにそこにオイル交換代やタイヤ交換代や車検費用は入っていない。おそらく車にかかる費用をすべて合わせると、2500万円にもなる。

お客さんのなかには、「値段は安くするな。値段は適当でいい。高くてもいいから、わしは来る。だけど、頼むから、店だけはちゃんと守ってくれ」と言ってくれる方もいるそうだ。車の販売もしている渋谷石油、このお客さんが渋谷石油で車も買ってくれているとしたら、暗に「あなたのところで2500万円の約束手形を切りますよ」と言ってくれているようなものだと社長は言う。

長期的に考えると、家1戸売るのと同じぐらいの確約をお客さんからもらえる状況にいるということになる。そのために自分たちに何ができるのか、考えるとまだまだできることはいっぱいあるのではないかと渋谷石油のスタッフは日々考えている。
渋谷石油で働くのに向いている人
自分の人生を豊かにすることができる人、したい人が向いているという。それは、自分で何かできるのではないかと行動できたり、感謝ができたり、ということだ。「向上心」という言葉で表されるかもしれないが、最初はよりよくしたいとか、物欲でもかまわないという。渋谷石油は、仕事をしていく中で、お客さんに怒られたり、褒められたり、感謝されたりするうちに、誰かのためになにかしてあげようとか、困っているから助けてあげようという気持ちが自然と湧いてくるようになり、人間性が磨かれていく環境なのだ。
今後めざす店の形
今のガソリンスタンドのイメージとして、「給油してくれるところ」のほかに何かイメージを持っている人はいるだろうか。車の購入ができたり、点検、整備、オイル交換を頼むところというイメージはあるだろうか。店員があまりいなかったり、ぶっきらぼうだったりというところからこのイメージは来るのかもしれないのだが、ガソリンスタンドを信頼して、カーライフを委ねようと思う人はあまりいないだろう。社長はここを変えていきたいと語る。

社長が描くガソリンスタンドとは、「なかったら困る。何かあったら、あそこに聞いてみよう」と思ってもらえるガソリンスタンド。今は、ガソリンがなくなったから、給油しに行くところという認識が強いが、「必要だから行く」のではなく、「行きたいから行く」というガソリンスタンドだ。渋谷石油は、車の販売から、廃車の手続きまで車に関することはなんでもできる。「車の町医者」になりたいのだと言う。

これが実現すると、スタッフも渋谷石油で働いていることにさらに誇りをもって働けるようになるのではないかと社長は考えている。そして今はまだ、どこにも就職できないからガソリンスタンドで働くという考えが一般的だが、そうではなく、ガソリンスタンドに就職したいんだという人がでてくるようにしたい。そのために、徹底的にサービスや技術力にこだわって店づくりをしているのだそうだ。
インタビュアーから
普段何気なく接しているガソリンスタンドだったのですが、渋谷社長のお話を聞く中で、驚きの連続でした。その語り口調は熱く、未来のこと、社員のことを本気で考えている姿勢にインタビューをしながら胸が熱くなりました。この記事を見て、ひとりでも多くの人のガソリンスタンドのイメージが変わればいいなと思います。