コーチングオフィスTwo-Me-Key(つみき)という会社 |
コーチングオフィスTwo-Me-Keyは、岡山市北区に5坪の事務所をかまえ、コーチングという手法をつかい、「聴く」ということにより人の悩み解決、夢の実現のお手伝いをしている会社だ。 Two-Me-Keyという社名には、 「あなたの夢や目標を積み上げていくようなコーチングでお手伝いしていきます。小さな頃、無邪気に遊んだ積み木のように」 というメッセージと 「Two」はクライアントさんと二人で一緒になって夢や目標に向かってという意味 「Me」は自分がそんなあなたと夢を繋ぐお手伝いが出来たらと願う想い 「Key」はそんなあなたのきっかけや『鍵』になれたらという想い が重ねられている。 |
コーチングオフィスは何をしているところなのか |
コーチングは「聴く」技術と言われ、「聞く」ではなく耳に目と心を+(プラス)して聴くという字を使う。 人を導くときには、二つの方法があり、一つが教えて導くというティーチング、もう一つがコーチングだ。 ティーチングの「答えややり方を教えて導く」という方法と対照的に、コーチングは「答えは相手がもっている」という考えなので、それを引きだしていく。 そのため、コーチが答えを持っている必要はない。Two-Me-Keyのクライアントは経営者が多いのだが、その事業の素人のコーチが事業のプロにティーチングできるはずもない。 経営者には話し相手がいないという悩みがあるそうだ。今の経営戦略が正しいのかどうなのか、という事業の方向性に対する不安や、資金などの経営に関する不安を社員に話すわけにはいかない、もちろん家族にだって言えないことは山ほどある。そんなことが積もりに積もって答えが見つけられないときに、コーチングにより客観的に自分をみるきっかけをつくり、クライアント自らが答えを見つけていくのだ。 例えば、話のきっかけに「あなたの夢や願望を教えてください」と質問することがあるそうだ。そのときに、ある人が「上司にいなくなって欲しい」と言ったとする。このとき普通は、「上司を選ぶことはできないから自分が変わらないといけないかもね」と話す人が多いと思うが、それはティーチングだ。コーチングではさらに質問をする。 「どうして上司にいなくなって欲しいと思うのですか?」 質問によりクライアントの考えが深くなっていくにつれ、本当の答えが見えてくる。 「上司はいつも自分の意見を聞いてくれない。あの時だって・・・」 上司にいなくなって欲しいのではなく、本当は自分の意見を聞いて欲しかったのだ。そうなると、上司がいなくならなくても、自分の意見を聞いてもらえる状況をつくればいいということになる。 こういうふうに例としてあげると、簡単なことに思えるかもしれない。 しかし、この簡単なことに本人は気付いていないということが実に多いのだ、と石井さんは言う。 自分でも気づいていなかった、自分の心の底の想いに気づいたクライアントは、改善にむけて行動を始める。それによりクライアントの悩みが解決されていくのだ。 これがコーチングと、コーチングオフィスの仕事だ。 |
脱サラしてコーチングオフィスを起業した理由 ~夢を見失い、お金がすべてだと思っていた~ |
代表の石井さんは高校卒業後、大手製造業の工場で現場作業員として働いていた。高校卒業したての頃は、社会にでたらお金を稼いで色んなことができると夢を抱いていたが、その夢は現実に打ち砕かれてしまった。高温の工場で12時間のシフト勤務を続けるなかで、仕事以外の時間は何もする気になれない。また、大卒で入社してくる社員と、高卒で入社した自分との待遇の違いも夢を砕く理由のひとつになった。ちょうどそのころ、ヒルズ族と呼ばれるIT長者がテレビをにぎわせていた。元ライブドア社長の堀江社長もその一人だ。自分とその人達をくらべて、次第に「世の中お金が全てだ、お金さえあれば何でもできる」と考えるようになっていった。同じころデイトレードと呼ばれる短期投資も世間で広まっていたので、お金を稼ぐならこれしかないと株式投資を始めることにした。 投資を始める前に本屋に行き、何冊も本を買い、ゲームの世界の口座とお金を使い、実際の株価と連動してデイトレードの疑似体験ができるシミュレーションゲームで練習をし、半年間で300万円を稼いだという経験を持ってからスタートした。 「株式を保有するということは、その会社のオーナーになることだ」という本に書かれていた文章にもひかれ、パチンコをして負けている同僚が多かったので、「俺が彼らのオーナーになってやる」と思ってパチンコの株を買った。 しかし、結果は大暴落。 手持ち資金が一気に三分の一になった。日々の重労働も重なり、不眠症になるほど、心にも大きな傷を負ったのだそうだ。 それでも、仕事でヒルズ族のようになれるイメージは全くわかなかったので、再び本屋にいき、学ぼうとした。当時、投資コーナーの9割ほどは短期投資の本だったが、残りの1割ほどあった長期投資の本が目につき、読んでみた。 それが人生を変える2人との出会いにつながる。 |
脱サラしてコーチングオフィスを起業した理由 ~人生を変える2人との出会い~ |
2006年1月に証券取引法違反容疑で、ライブドアに強制捜査が入ったことで、株式市場が暴落した。これをライブドアショックと呼ぶのだが、そのころに長期投資では日本でも有数の実力を持つ、さわかみ投信株式会社の代表 澤上篤人さんをテレビで見た。 投資信託は、お客様から預かったお金を株などの運用により増やすことが仕事なので、ライブドアショックのタイミングは投資信託からすると最悪の時期だ。 それにも関わらず澤上さんは笑いながらこう言った。 「株は友達みたいなもんだよ。ところで、本当の友達ってなんだろうね。本当の友達っていうのは都合のいい時だけ友達になろうっていうんじゃないよね。その人が本当に大変なときこそ、手を差し伸べない?それが本当の投資だと思うよ。だから、調子がいいときだけ友達になろうなろうってやっていったからみんな失敗したんだ。本当の友達のように、風邪をひいたりとか、大変なことがあったときに助けるよね。今が助けるときじゃん。日本はいい企業がたくさんあるのに、なんでみんな逃げちゃうの?売ったら株価は下がるわけですよね。でもみんな逃げちゃうわけですよね。こういうときこそ、いい会社の株に手を差し伸べるんですよ。僕らはこういう仕事をしているんだ。」 衝撃を受けた石井さんは澤上さんに会いたいと思った。神戸でセミナーがある事を知り、参加することにした。 そこで澤上さんに単刀直入にこう質問をした。 「たくさんお金を手に入れたいです。どうしたらいいですか?」 澤上さんはその質問を質問で返す。 「たくさんお金を手に入れたら何をするんだ?」 「服を買います」 「他には?」 「アクセサリーを買います」 「他には?」 「車を買います」 「へぇ~君の夢はそれだけか」 それにカチンときた石井さんは若気の至りから、無礼なことを言ってしまう。 「じゃあ、あんたは何があるんすか!」 澤上さんは答えた 「株式市場は欲望渦巻く闇の世界だと思うよ。ただ、この世にはさ、ほんとに誰かに、人のためにと、思って仕事をしている人たちがいる光の世界があるとおもうんだよ。闇の世界もあるし、光の世界もある。俺はさ、闇の世界から金を引きずり出して、光の世界にばらまきたいのよ。かっこよくない?」 石井さんは素直に「かっこいい!」と思ったそうだ。 何も言えなくなったところに澤上さんは続けた。 「お風呂にお湯が張っているとする。このお湯を世界のお金だと思ったらいい。お金がない人は、もっとお金が欲しい!とどんどんお湯を自分の方に引き寄せようとする。しかし指の間からお湯は逃げていき、結局お湯は集まらない。お金のある人、豊かな人は逆。自分のお湯を周りに押し出すんだ。外に押し出すとその波紋が広がって、その波紋が壁に当たって返ってきて自分が豊かになる。これが投資のリターンなんだよ。リターンの意味は戻ってくるだ。お前は何もしていないのにリターンだけ狙ってる。そんなものはリターンでもなんでもない。だから自分が先になにをするべきだ。お金の貯め方なんてどうでもいい。かっこいい使い方を覚えろよ」 自分のために、お金を貯めることを学びに来たのに、自分に欠落しているのはお金の使い方、人のためにどんな貢献ができるかということだったと知り石井さんは放心状態になった。そして、その帰りの道中に、「自分にできることはなんだろう。どんな貢献ができるか。澤上さんを岡山に呼べたら地元にすごい貢献になるんじゃないか。」当時24歳だった石井さんは「30歳までに呼べたらすごいよね。」と考えていた。興奮冷めやらなかった石井さんは、その想いを手紙に書いた。手書きで10枚にもなったそうだ。 それから3か月後、香川で講演会があると知り、澤上さん本人が来るかどうかわからなかったけど、書き留めた手紙を持っていった。 その手紙きっかけとなり、澤上さんを含むさわかみ投信の幹部が集まり、岡山での公演が実現したのだ。 石井さんの人生に影響を与えた2人のうち、もう一人がタマゴボーロで日本一のシェアの竹田製菓株式会社の代表 竹田和平さん。 竹田さんも長期投資の世界では日本にウォーレン・バフェットと言われている日本一の個人投資家だ。(ウォーレン・バフェットとは、アメリカの有名な投資家であり経営者。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、会長兼CEO。世界経済に影響を与えている世界一の長期投資家) 石井さんは長期投資をする中でウォーレン・バフェットを参考にしていた。竹田さんは日本のウォーレン・バフェットと呼ばれる人なのだから、さぞかしすごい人なのだろうと考え、竹田さんの本を読み、会えないかな?と考えた。しかし、会っても何を話していいかわからないのと、電話をしてもどうせ門前払いだろうと思ったので、手紙を書いたそうだ。 それから一週間くらいして竹田さんの秘書から電話があり、その電話で竹田さんと話す事ができたのだ。 この時に書いた手紙の内容は、自分は澤上篤人さんと出会い、どれだけ人生変わったかというもので、なぜ竹田和平さんに書くのが意味がわからないものだったのだが、想いが伝わり、「面白い」と電話をかけてくれたのだという。 その後、手紙を書くたびに竹田さんは電話をしてくれたそうだ。石井さんは自分の中で竹田さんに直接会ってお礼がしたいと考えた。5分でもいいから会いたいと言っても「わざわざ名古屋まで来るのは大変だろう」と断られ続けたが「1対1では時間はとれなくても100人くらい経営者が集まる会があるから石井さんも招待するから来ますか?」と言われ、会いに行った。 石井さんは1つの夢を持ってこの会場に来ていた。 それは、「長期投資の日本一の事業者である、澤上篤人と、日本一の個人投資家である竹田和平の対談本を作りたい」という夢。 絶対話そうと思っていたのだが、セミナーが終わっても20~30人の取り巻きの人がいて行けない。そのとき石井さんは「いっつも俺ここで諦めてたよな」と思った。こういうことに対して、一歩踏み込めなくて、あとで後悔だけが残るという人生を送っていたので、今が変わるときだ!と思い、叫んだのだ。 「竹田和平さん!1対1で話をお願いします!!!」 その行動が運命を開き、直接話ができることになり、対談本の夢を語り、それを実現した。 |
脱サラしてコーチングオフィスを起業した理由 ~一つの夢の実現から広がる世界~ |
この奇跡の対談を成功させ、本の出版ができたとき、澤上篤人と竹田和平はみな知っている人だが、一現場作業員の石井達也の名前はインターネットで検索しても出てこない。 その石井達也という名前に注目する人があらわれ、そこから講演に呼ばれることになり、講演に来てくれた人の中には「行動が夢を実現に導いたという話にすごく勇気をもらった」という人もいた。 澤上さんと竹田さんとの出会いから考え方が変わっていた石井さんは、仕事も本気で取り組むようになっていた。27歳くらいのときにリーダーとして、1000グループくらいで競う社内の全国大会で優勝もした。一生懸命仕事に取り組んだ結果、今の仕事よりもしたい仕事があると考え始めるようになった。石井さんは人と関わることが好きだと気付いていたのだ。今の仕事ではなく、もっと人と関わる仕事がしたいと思った。そしてもっと多くの人と出会いたいと考え、会社を辞めた石井さんは三か月の旅にでることにした。それは、きびだんごを配りながら日本一周をし、多くの人と知り合うための旅だ。 辞めた会社では、認められていなかった。もちろんろくに仕事もしていなかったので当然なのだが、自分の話や夢をろくに聞いてくれなかったため、自分の価値を低いものと考えていた石井さん。それに対して、澤上さんをはじめ成功者の人たちはみな、自分の話や夢に耳を傾けて、本気で聴いてくれた。それが自分の価値を高め、またそういった成功者の人たちは自然と周りを明るくする。自分がしてもらったように、人の話を真剣に聴くということでみな元気になっていく。 これがコーチングとつながるまでには時間はかかったが、この効果を具現化したいと考えやがてコーチングにいきついたのだ。 コーチングによって人生を変えてもらったという原体験が、コーチングオフィスを起業した理由なのだ。 |
コーチングの先にあるもの |
コーチングによって自分の価値を見いだし、人生を変えていけた石井さんは、コーチングをすることで、その価値を提供している。 しかし、コーチングはあくまで手段だと言う。石井さんはコーチングによって、目の前の人に「笑える人生を送ってほしい」と考えているのだ。 コーチングという一つの手段をつかって、人に「笑える人生」を送るきっかけ作りをし、またそういった人と人とをつなぐことによって、叶えられなかった夢が叶えられたという人を増やしていく。 「人の夢を叶えて“最高”と言える人生を送りたい。」 そう話す石井さんは笑顔で溢れていた。 |
インタビュアーから |
コーチングオフィスという聞きなれない仕事に興味を持ち、インタビューを進めていったのですが、話が進むうちに興味の対象は仕事内容よりも、石井さんの生き方に移っていきました。このインタビューを通して一人でも多くの人が夢や希望を持てるようになればうれしいです。 |